magurit’s blog

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読売新聞「本の森」より

「復讐劇の衰退」      石原慎太郎(作家,東京都知事
  近代化という人類の進歩は実は当節の文学から小説の醍醐味の一つであるものを
 奪ってしまったともいえる。それは復讐という人間にとって始源的な行為で,近代
 刑法の基本公理の一つは仇討ちの禁止である。
  人間社会の鉛直な価値観,信頼,友情,忠誠,連体,献身といったものを証しだ
 てた『忠臣蔵』にせよ,槍の権三,おさんと茂兵衛の悲劇,西欧ではメリメの『コ
 ロンバ』,『ニーベルンゲンの歌』のクリームヒルドの騎士ハーゲンヘの夫ジー
 フリートの復讐,『モンテクリスト伯爵』の千変万化に手のこんだ復讐劇等々,か
 つては血の騒ぐ名作にこと欠かなかったが,時,現代にいたると小説の主題から復
 讐,仇討ちはほとんど姿を消してしまった。
  変質者に幼い子供を殺されてしまった親,狂気のカルト集団に家族を殺された市
 民たちの煮えたぎった怒りははたして,悠長で大甘な裁判の判決によって相殺され
 つくされるものなのだろうか。その鬱屈を何が,誰がどう晴らすことが出来るのだ
 ろうか。
  現代の司法が規制している社会秩序なるものはどうやら被害者である市民たちを
 去勢してかかろうとしているようにも見える。
  政治家としての私は法に囲まれた社会秩序を否定出来る立場にはありはしないが,
 その一方物書きとしての想像力は復讐がタブーとなってしまったこの現代社会に,
 ある本質的な不安,不満を感じないわけにはいかない。
  かつて『生き残りの水平』という,太平洋戦争の激戦を生き延びた二人の水兵が
 邂逅し,ホームレスと成っていた片方が暴走族に惨殺されたのに怒った男が自分一
 人でその報復を果たす短編を書いたら,ある批評家に作品は認めるが政治家の立場
 にいる人間がこんなものを書くのは許せないと評されて,呆れはてた。ならば私が
 別名でそれを書けば許されるというのだろうか。
  人間の感性は,情念というのはいつも社会の中ではアンビバレンツ,二律背反に
 引き裂かれるものだということも知れずに批評家とはおこがましい。
  もともと小説は毒の一つなのだから現代がもたらした不安,不満を表象するよう
 な新しい復讐劇が現れて欲しいと思うのだが,芸術論にせよ政治論議にせよ,議論
 を吹き掛けてもただにやにや笑うだけでさしたる反応を見せぬ当節の若い世代に,
 現代的な何かとんでもない復讐劇の創作を望んでも無理ということだろうか。
                2006年4月16日 読売新聞 11面 引用 

 長い引用をしたが,今の気持ち・気分に近しいものがあるので,
 ご容赦願いたい*1
 

そして粛清の扉を

そして粛清の扉を

*1:もちろん,連絡を受ければ削除します