magurit’s blog

はてなダイアリーからの移転です!

道具は人が使うために作られた物なんだから・・・。

 昨日の職場でのPC仕事は,目の下が腫れ,頭(左側)が痛くなった。

 私の道具の定義
  道具とは,人間が(気)楽に,創造的な仕事をする為に,
 人の妨げにならないように,人間の手によって作られた物であって,
 人間に,必要以上の特別な訓練を要求したり,人体に損傷を与える様な
 欠陥があっては決してならない。また,道具自体は,人間に怪我をさせ
 る前に見事に壊れるべきものである。

 ”アシモフロボット三原則”ではないけれど,忙しい時に思考の邪魔をしてまで
 結果を出させる様なものは,断じて使ってはならない!と思っている。
 そういう意味で,PC機器に振り回される人間(特に,自分が面倒だからと他人に
 押し付ける上司の人格は最低である)は嫌悪感さえ覚える*1
 一つで事,足りるのに,二つのボタンの使い分けを知っていることの嫌らしさを
 鼓舞させるマウス。
 幾ら,”歪んだ窓Me”でも,画面に表示されていることは,漢字Talk7.1となんら
 大差ない。HDDばかり大容量になって,コピーやインストールに時間ばかりかかる。
 ワープロ・ソフトは,圧縮せずともFD1枚に納まり,そのままドラッグドロップする
 だけのインストール。包みを開けた時からすぐ使えて,モノを作り出せるのが,
 ”道具”だ。
 薄型液晶ディスプレイであっても,じっと見ていたら目の疲労は大きい。
 下書きを見ながらの作業をせざるを得ないようなソフトウエアに値打ちはない!
 原稿の量がどんなに多くても,B4一枚に強引の納めてしまう様な機能からは,
 創造的な文章や資料が生まれるとは到底思えない*2
 画面のまま,B5版3枚に溢れたら,画面上で文章を推敲し削り表現を変えて
 B4版に納まる様にしていくことこそ,自分の頭を使う創造的な仕事ではない
 のだろうか?
 予定していた仕事のジャマをされ,目を痛めていたのでは,話にならない。
 人間を傷つける道具が道具といえるのだろうか?
 まるで,与党独裁の抑止力として存在したはずの野党が,モノ申さない現代を
 見ているようだ。

*1:幼少期,マンガやSF小説から知り得て,空想を逞しくしたコンピュータ(を搭載したロボットかな)が,中・高の頃には,むき出しのボード・パソコンになり,大学の4回生の頃には,キーボードとCT記憶の8ビットパソコンが流行した。インタープリター型のパソコンでのプログラミングは,大学のパソコンセンターでカード穿孔機でプログラミングすることより格段に楽だった。しかし,ファイルの出し入れ(ランダム・アクセスとシーケンシャル)を考慮してプログラミングするのはやっぱり面倒だった。8ビットマシンでの限界からか,職場では最新型の某I社の16ビットパソコンがあったが,不便だった。バッチファイルにファイルの出し入れは,まったくといって改善されていなかった。いや,それどころか改悪の道を歩んでいたとしか言えないかった。私の使っていた,FM-7の6809はモトローラだったのでCPUの設計が綺麗だったが,CP/MMS-DOSが主流の機械のCPUはZ80で,電卓上がりの継ぎ接ぎだらけ。この頃私は「パソコンよりも,ワープロで充分」と,パソコンからは離れた。しばらくして,名古屋の研究仲間が,MacintoshのSE/30を使って,研究紙をほぼ2年間出し続けていた時,その愉しそうな仕事ぶりと,表現したいと思う事を思いのままにしてる姿が羨ましかった。偶然,某F系列に勤務する友人がMacintosh classicを譲ってくれた時は,喜びと同時に「こんなにも人に優しい,使いやすい道具があるのか」と驚いた。それ以来,Apple派だが,OS.Xに乗り換えたいとは思わない

*2:某国産ワープロの機能