magurit’s blog

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内田 樹(2006.11.05日曜・読売朝)より

 【身体で読む本】
  「本の方が読者を選ぶ」
  本を手に取るちきに,手が本に向かって伸びているというよりは,
 手が本に引き寄せられているという感じを持つことがある。みなさ
 んも書店で本棚のあいだを歩いているときにも「本と目が合った」
 という感覚がするときがあるだろう。そうやって手に取った本は私
 たちがまさにそのときに読むべき重要なメッセージをしばしば含ん
 でいる。
  本は読者が主体的に選ぶものではなく,むしろ本の方が読者を呼
 び寄せる。私はそう信じている。
  だから,「積ん読」というのもすぐれた読書術の一つと言えるの
 である。雑然と積み上げられた本の山はもののはずみで容易に倒壊
 するが,そのとき崩れ落ちて,私の目の前に転げ出た本は,どうし
 てそんな本がそこにあるのか自分でも忘れてしまった本であるにも
 かかわらず,私がそのとき読みたいと願っていた当のその本なので
 ある。
  これは決して偶然ではない。というのは私たちの認識能力は,思
 われているよりはるかにすぐれたものだからである。私たちの潜在
 意識は家の中にある本なら,どこにどんなタイトルの本があって,
 そこにどんなことが書いてあるのか(まだ読んだことのなくても)
 だいたい見当がついているのである。そして,私たちは積んである
 本の山をわざと崩して,手元に偶然その本が転がり落ちるように無
 意識に仕組んでいるのである。信じにくいことかも知れないが,私
 たちの認識作用は(古い言葉で言えば)「マッチポンプ」として構
 造化されているのである。
  だから,当然「濫読」というときにも,実はジャンルの選択を知
 らぬうちに済ませているのである。
  私は節度を知らない読書家だが,私の家の書棚には,株式であれ,
 不動産であれ,パチンコであれ,宝くじであれ,およそわずかなり
 とも「射幸心」に触れる書物は一冊とて存在しない。また,特効薬
 本であれ,ダイエット本であれ,セラピー本であれ,「健康と長生
 き」を人生の目標として掲げる本もまた一冊として存在しない。自
 分で書いた人生相談本はあるが,これは読んだ人をどちらかという
 と寿命が縮む方向に誘う傾向があるので除外してよいのである。
  (神戸女学院大教授・フランス現代思想
    (2006.11.05日曜・読売朝・13面)引用