- 作者: ウディアレン,Woody Allen,鈴木小百合
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2006/09
- メディア: 単行本
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『ウディ・アレンの漂う電球』
日々の生活に窮し,日によってはその日食べるものにも事欠き,
将来になんの展望ももてず,打つ手はもはやないが,死ぬに死に
きれず,酸素不足の金魚のように生きている,というのはなんと
も辛い状況であるが,この戯曲に登場する,ブルックリンの朽ち
たアパートに住む一家はまさにそのような状況にある。十六歳の
長男は吃音障害のある引きこもりでマジックの練習に没頭してい
る。父親はウェイターをして稼いだ僅かな金を賭博と女につぎ込
み,それゆえできた借金に追われ,がためにその妻は家計のやり
くりに疲れ果て,十三歳の次男はギャング予備軍のようなことを
しており,一家は精神的にも経済的にも崩壊寸前である。
このような生活をして人はどんな希望を持てない。しかし,こ
のような暮らしをしているからこそ見ることができるものがある。
なにか。夢である。富みのある人にとってその資産は現実なので,
その富みを現実的に管理しなければならないが,貧しい人は夢を
見ることができる。それは,賭博で目と出て莫大な富を手中にで
きたら。すべてを捨てて若い女とフロリダに行って人生をやり直
すことができたら,という夢であり,また,もし息子がもし天才
だったら,とか,もしダンサーを続けていたら,という夢であり,
こんな自分にも新しい恋ができるかも知れないという夢である。
ただそれは長男が没頭するマジックが奇蹟ではないように,苦
しさから一瞬逃れるために観た儚い幻に過ぎず,そのような夢を
観た後の現実は宿酔のように無惨で,垣間みた夢によって人々は
なお追い詰められる。だからなお人は夢を信じたくなる。電球は
本当に空中に漂っているのだ,と思いたくなる。狭苦しいアパー
トの一室を漂う,ちゃちな仕掛けを施した電球の光がせつない。
再チャレンジできないし。鈴木小百合訳。
◇Woody Allen=1935年,米・ニューヨーク生まれ。映画監督,
脚本家。77年,『アニー・ホール』でアカデミー賞。
(2006.11.05日曜・読売朝・14面)