私は今の世の人間が自覚的あるいはむしろ多くは無自覚的に感ずるいろいろの
不幸や不安の原因のかなり大きな部分が,「新聞」というものの存在と直接関係
をもっているように思う。あるいは新聞の存在を余儀なくし,新聞の内容を供給
している現代文化そのものがこれらの原因になっていると言ったほうが妥当かも
しれないが,それはいずれにしても,私はあらゆる日刊新聞を全廃する事によっ
て,この世の中がもう少し住み心地のいいものになるだろうと思っている。
新聞を全廃したらさだめて不便な事であろうと一応は考えられる。その不便を
感ずる種類や程度はもちろん人々の地位や職業によっていろいろであろうが,不
便ということに異議はなさそうである。しかしそれらの不便がどれだけ根本的な
性質のものでどれだけ我慢のしきれない種類のものかという事は,少しゆっくり
考えてみなければよくわからないと思う。われわれの日常生活に必要欠くべから
ざるものと通例思われている器具調度の類でも,実はそれを全廃してしまって少
しもさしつかえのないものはいくらでもある。・・・・
(「一つの思考実験」『寺田寅彦随筆集 第二巻』岩波文庫より)
新聞を必要とするように今のわれわれの生活を導いたものは新聞自身であるか
もしれないとすると,新聞が必要がられるという事実だけでは決して新聞の本質
的必要を証明する材料にはならない。
(「一つの思考実験」『寺田寅彦随筆集 第二巻』岩波文庫より)
新聞全廃。
そうだね,テレビにラジオ,ネット・・・。
速報なら要らない。
正確な事実だけなら,何社も要らない。
記録として残す為でも,要らない。
・・・記事がすべて正確であると仮定した場合でさえ,その必要が疑わしいく
らいならば,記事が不正確である場合にはどうなるんだろう。
(「一つの思考実験」『寺田寅彦随筆集 第二巻』岩波文庫より)