人が生きていると,思いこみや誤解に
多かれ,少なかれ出会う。
わらって済ませられる場合もあれば,大層な
展開を招くこともある。
当事者は,熱くなっているし,”怒り”や”ダークな無限連鎖”に取り込まれたら,
なかなか脱出できない。
まして,それをなだめる人間が,
「何が原因なのか,どうしてスイッチが入ったのか」がわからなければ,火に油を注ぐこと
だってままある。
ほんの少しの時間,冷静に考えられたら,
「ひょっとしたら・・・」とか「あっ,こんなところにあった」とか「勘違いだった」とか
「勘違いさせたかな」とか「私の思いこみだったかな」という程度のことも。
その後の,関係修復も大変。
一人で「××って思っただろうな」「・・・許してもらえないだろうな」と,またまた無限連鎖に。
齢を重ねていたり,仕事の上下関係ならメンツもあるだろうし。近しい人なら尚更。
そんなわけかどうだか知らないが,ドラマやマンガや小説のネタにされやすい。
一般的なパターンだと,「すれ違い,雪だるま,破綻,そして,再生」でしょう。
ドラマやマンガだと,最後に再生があるから救われるんですけど,小説だと,閉鎖的な世界に
描かれやすいのか,最後にもっと悲惨な結末だったり。
じゃぁ,どうすれば”誤解”は,防げるのか?
私の答えは,’防げない’です。
ただし,「防げないから仕方が無い」というスタンスではありません。
「誤解や思いこみはするものなのだ」と考えておくということです。
文章だと,書きながら読み返し,「こういう風に思うかもしれない」と気が付いたら,
そこに,補足や言い回しを加え,変えていく。まどろっこしい文章になるかもしれないけれど,
最初は考えない。だって,
人は,考えながら変わっていくもの。
たとえば,
「自由に語りなさい」なんて言われても困るでしょ?
「(抽象的に)どう思ってるの?」なんて言われても,何をどう答えていいか・・・。
相手に答えて欲しいこと(自分の知りたいこと)を,選択肢的に問いかけるのも一つですよね。
逆説的に「(ありえない)話」を語ってもらうと,本当の話をしたくなりますよね。
たとえば,「あいつのここが嫌い」について話していても,最初は”嫌いなこと”を話してるけれど,
途中から,「まてよ,だけど,こんないいこともある」なんて。
人は,矛盾*1に満ちているんです。
具体的に,文章だとね,
「と,書いていて,今,こう思った」とかね。
それでも,誤解して怒り出す人もいます。
そのあと,どうやって「誤解を解くか」,「思いこみを解くか」というと,
「・・・・と,誤解をさせた私も悪い」ということかな。
全身全霊を込めて,”ごめんなさい,誤解させた私が悪い。一言,聞いてください。
実は,こういう意味だったんです。言葉が足りませんでした”って。
「誤解してたのは,私だね」ってなるよね。
でもね,誤解や思い違いが生じる人間関係って,煩わしいだけじゃないんです。
それだけ,お互いが想っているということだとも思うのです。
希薄な社会というけれど,捨てたもんじゃないです。
が,しかし,コミュニケーションは必要なんですよ。