magurit’s blog

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改正教育基本法成立

  土曜の新聞は読売も朝日もトップは,
 「改正教育基本法成立」。
 読売の論調には,何か「?」をつけた
 くなる。
  いつもの感じと違う。どう考えても
 脱字としか思えない文章をコラムにし
 ているし・・・。          
                      ◆フィンランドのクリスマス切↑

 「編集手帳*1」。

 ・・・◆戦後の日本は平和のおかげで復興し,いまの繁栄を手にした。誰よりも平和のあり
 がたみを知り,かつての軍国主義が二度と手にしてはならぬ危険な廃棄物であることを知
 っている。忘れ物探しの旅に出て,廃棄物と忘れ物を混同することはもはやあり得ない。

 「誰よりも平和のありがたみを知り」とは,何時と比べているのか?
 戦後61年間経ち,ここ10,20年に生まれた世代は,”戦争の荒廃など”想像も出来ない筈。
 ”ありがたみを知り”という使い方はあまりにも稚拙過ぎる。比較対象となる事を体験もせず*2
 簡単に決めつける様なこの文章を書いた編集者の意図を知りたい。
 さらに,”廃棄物”という言葉。人が生活すれば”ゴミ”は出る。
 そのゴミとどう付き合っていくかが重要なのに,この言い回しでは,
 ”臭い物には蓋をしろ!”と宣言しているのに等しい。
 「”廃棄物”と”忘れ物”を混同することはもはやあり得ない」と断言する
 根拠は何だろう?
 小学校*3に入学したばかりの子供は,何を持って
 こないといけないかわからない。それは,一つ一つ細かく訊いてくる。いや,私も
 訊いた覚えがある。つまり,教えてもらわないとわからない事もあるのだ。
 工作キットを初めて作る子供に,”端材も使える”事を教えずに,
 ゴミか使える物かを判断できるだろうか?
 あまりにも,善意に解釈した様な,”いい子ぶった”コラムにちょっと驚いた。
 太平洋戦争も,軍部や上層部だけの独走ではないはず。
 巧みな宣伝に誘導され,騙され,疑うこともしなかった国民も戦争への責任はあるのでは?
 と,最近の国勢を見ていて,歴史を振り返って思う。
 ”歴史は繰り返す”という事を当たり前と思う人の多い事,おおいこと。
 ”(過去の歴史を勉強しなかったら)過ち(歴史)を繰り返すよ”という意味ではないのか?
 続いて"社説"*4
 「何がいいたいのか,さっぱりわからない」というのが感想。
 ”八方美人的”な文章で,あちこちにおべっかを使いながらも,
 結局はお役所仕事のペーパーワークを支持しているかのようだ。
 ”社説”は「新聞社の顔」ではないのか?
 「6年間,論議は充分に尽くされた」かのような言い回しは,何を持って結論づけたのか,
 皆目見当がつかない*5
 2面には,「理念の具体化課題」「いじめ,学力不足どう克服」とある。
 さらに,この首相周辺の発言は,忘れないでいたい。

 また,「教育の憲法」と呼ばれる教育基本法改正を成し遂げたことについて首相周辺は
 「約60年間,金科玉条のように変えられなかったものを変えた。一度決めたものは変え
 られないという日本人の意識を変えることができた」と指摘し,政権が中長期的な政治
 課題に位置付ける憲法改正にも弾みが付くとの見方を示した。

 「一度決めたものは変えられないという日本人の意識を変えることができた」と
 思っているのは,”偉い皆さん”だけじゃないのですかねぇ?(笑)
 私は,間違っている,失敗したと思ったら”予想変更・進路変更”は,素直に
 実践したいと思っています。
 ならば,もう一歩突っ込んで,この「法改正」が失敗・うまく機能しないとなったら,
 「一度決めたものは変えられない」等と言わず,次々と改善していくという事を
 宣言してもらいたいものです*6。”強行採決”が実験的・民主的な姿なのか?
  未来を担う子どもや若者の前で,示す態度なのか,発言した内容は”自分も含まれている”ことを
 よくよく考えていただきたいと願いたい。
 だから,”期待はしない。だけど,予想はします。”

*1:全文はhttp://d.hatena.ne.jp/magurit/19301216#1166363364

*2:体験が必要だと言ってるのではない。バーチャルや語り伝えでは自ずと限界があると思うのだが,いかがだろう?

*3:中学・高校・大学でも構わない

*4:全文はhttp://d.hatena.ne.jp/magurit/19311216#1166366859

*5:かつて,私も,ダラダラと続ける社内の風潮に辟易とし,上司の新しい提案に対して「それをいつまでするのか?うまくいったか否かの判断基準は考えてあるのか?」と至極当然の質問をした処,「何でも数字で言うな!」と言われの無い恫喝を受けたのを思い出す,まさに,それと何ら変わりのない言い回しである

*6:この事は,戦後,社会科という科目が出来た時の教科書『民主主義』に「多数決は,話し合いを充分に尽くして,お互いが歩み寄れる処まで歩みよっても,まだ決められない時に行うものであり,”取り敢えず’そちらに進むということで,もし途中でダメとわかったら,少数派の意見を採用するか,もう一度審議するのが,民主主義の考えである。その意味で,多数決によって物事を決める仕組みは,科学実験と同じであり,失敗なら考えを改める事が必要である」と言った意味が厳粛に語られている