magurit’s blog

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「齢を重ねる」ということについて(07.1/2追記)

 12/28の読売・夕刊を整理していて「時のかくれん坊 黒井千次」を読んだ。
 マルコム・カウリーというアメリカの文芸評論家・詩人,編集者が80歳を過ぎて,
 刊行した『八十路から眺めれば』から引用している
 「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」が面白かった。

 「骨に痛みを感じるとき」
 「誤って歯ブラシを取り落としたとき」
 「去年よりも足先が手から遠ざかったように感じられるとき」
 「片足で立つことができず,ズボンをはくのに難渋するようになったとき」
 「階段を下りる前に踊り場で一瞬ためらうとき」
 「美しい女性と街ですれ違っても振り返らなくなったとき」
 「もう日が沈んだあとの車の運転はよそうと決心したとき」
 (2006.12.28・木曜 読売夕より引用)

  全部で16あるそうだが,この7つをヒントにして,自分なりの,「肉体からの
 メッセージ」を考えておいてもいいなと思った*1。  「老いる自分 眺める自分」と題されたこの日の文章には,
 年齢に関係なく,「無理する自分とそれによって醜態を演じる事を危惧する自分の二つの視点」を
 持つことの意味,それと適当に付き合っていく事の必要性を再確認した気がする。
 (典拠文献:2006.12.28・木曜 読売夕 黒井千次「時のかくれん坊」)
  

八十路から眺めれば

八十路から眺めれば

*1:それを言い訳の様にして頼る自分の姿も情けない想像が働くが