「第9交響曲」
各地でベートーベンの第9交響曲が聴かれる。年末恒例のこの曲が,日本で初めて演奏され
たのは徳島県鳴門市だ。90年ほど前に,坂東俘虜収容所(鳴門市)のドイツ兵が演奏した。
第1次大戦で,日本は青島(中国)のドイツ要塞を攻撃。圧倒的な兵力の差に守備兵は大半
が捕虜となり,日本に連れてこられた。
日本ペンクラブ会員の安宅温さんが出版した『ひびけ青空へ!歓喜の歌』(ポプラ社)を読
むと,坂東俘虜収容所での捕虜たちの生活が興味深い。
安宅さんの義父でポーランド人のヘルトレさんも収容された。義父がなぜ,つらい捕虜時代を
楽しそうに話すのか。なぜ日本に永住したのか,疑問だった。
取材の中で安宅さんは,収容所の松江豊寿所長の存在を知った。捕虜に対して人間の尊厳を貫
き通した人だ。一方,ドイツ兵も規律を保ち,スポーツで体を鍛え,自分たちの新聞を印刷する
など,捕虜生活を兵役の継続ととらえ,前向きに生活していたという。
こうした事実は,6月に公開された映画「バルトの楽園」などで,広く知られるようになった。
先に挙げた安宅さんの著書は9年前に出した児童書を文庫にしたもの。「自由な魂はどんな環
境の中でも」守れる。生きていくことこそ一番大切」というメッセージを込めている。
今年はつらいニュースが相次いだ。すべての子どもたちが希望に満ちあふれているように願っ
て,第9を聴きたい(野間裕子)(2006.12.20・水曜 読売朝より 引用)
父方の祖父母の家*1に出かけた折りに,古いアルバムを見せてもらったことがある。
祖母の若い頃の写真には,外国の人が数人写っていた。「外国人が家にいたの?」
と尋ねると「捕虜だった」と教えてくれた。
子どもながらに”捕虜”というと”悲惨な奴隷的”なイメージを持っていた
ので,堂々としていて客人という感じの写真に,不思議な印象を感じたのを
思いだした。「あの外人さん達は,九州で何をしていたのだろう?」この記事を
読みながら,想像を凝らした*2。