狂牛病の話では,ありませんので・・・。
「牛肉」の悲劇 教訓に
大学院生のとき,忘年会の幹事役が回ってきたことがある。外の店に行くのも
芸がないと思い,研究書で鍋を囲んですき焼きパーティーを企画した。何人かで
買い出しに行き,コンロと鍋や食器を用意して準備万端,和気藹々と盛り上がる
----はずだった。
ぼくの読みは甘かった。始まるやいなや,誰かがこう言った。「醤油と砂糖と
酒だけで味付けするのか?ダシ入れろよ」。そんなやり方もあるのか。でもそれ
じゃ味が薄まっちゃわないか。今回は我慢してよ。
しばらくすると別の人が文句を言う。「なんで春菊いれるの?信じられない!」。
肉の旨味が台無しじゃない!」。そんな。すき焼きに春菊は付きものなんですけ
ど・・・。
さあ,こうなるともう収拾がつかない。味付けが濃すぎるだの,白菜なんか入
れるなだの,お麩はないのか,白滝はだめだ糸こんにゃくじゃなきゃ,等々,も
う,ありとあらゆる意見が続々と噴出しつづける。いつもは質より量の奴らなの
だが・・・。
誰かが別の鍋とコンロを用意して,関西風薄味すき焼きを作り始めた。さらに
もうひとり,春菊抜きのを作り始めた。これでもまだ全員のニーズに応えきれて
はいないが,もうコンロも鍋もない。それに,素材もほとんど調理してしまった。
黙々と食う。ぼくは,うまいじゃないか,このすき焼き,と思ったが,不満分子
はむすっとした顔をしている。
生活習慣,とくに食習慣の拘束というのはオソロシイ。食に限らず,文化が違
うと人々は憎み,諍いを起こす。文化には,人間を束縛し,争いを引き起こす負
の力が備わっているのだ。この,文化の負の力について,もっと批判的に論じら
れていいのではないか。
今回の悲劇は,それがさらに「牛肉」という神聖不可侵な食料と結びついたこ
とで生じたのだった。
教訓・・・・忘年会には気をつけましょう。(東京大学助教授=科学技術社会論)
(2006.12.18・月曜 読売夕刊 引用)
その場面が想像できるだけに,笑ってはいけないが可笑しい。
しかし,今,現在も起こっている闘争・戦争が,こういう文化的側面が主題だとした
ら,簡単に”国際理解”だの”異文化理解”だのと言い放つ広告や政治屋の教育観の
無責任さを嘆いてしまう。