「つぶやき日記」*1は,”はてな”,”mixi”を始める前の話。
15日程度しか記録していない。
当時はダイヤルアップで電脳網とアクセスしていたので,
パフォーマンスが悪くて,続かなかったものと思う。
その15日間の記述が見つかったので,統一性を持たせるために,ここに復刻しておく。
ただ,療養中に書き始めた内容なので,覆いを被せてある*2。
事情を知らない人が読んだら???だろうが,知った人間が読めば・・・。
復刻に躊躇したが,段々と消えゆく過去を実感し始めているので。
書くことに至った由縁は,以下に併せて記入した(09.06.12)。
4/17の本文
三日坊主でおわりませんように・・・。
小学生でもないので,気楽にきままに書いて自分の事を残しておこう。
昨日4/16には,職場からパワハラともとれる内容の電話をもらった。
当時,学校改革が始まっていて,
副校長として赴任してきた元公立高校校長が,恫喝手法と子分手なずけ手法で
生え抜きを叩きまくり,追い出そうとしていた。
改革自体は,少子化で影響が必至だったので,賛成だったが,汚いやり方に反感を抱いた。
反対派に仕事を押し付けるだけなのだ。
反対派には,古くから私と親しい人が多くいた。
その為(基本的に派閥は嫌いなので一匹狼として行動する),反対派と見られた。
その元校長(副校長)と子分の不正が分かるように,
「◎◎が××してます」という告げ口でなく,
彼らの進めた方策によって,
ねじ曲げられた規則の結果を年度末に数字で報告した。
副校長は更迭されたが,彼らに育成された子分が仕返しに出た。
教科担当者の数が減らされた上で,教科主任にされた。
「新卒の新人講師に何科目も持たせられない。」と判断した私は,
この年「7科目」を担当せざるを得ない状況になった。
その為,3月は過重労働となり,4月に二度目のダウンをした。
心療内科で2週間の診断書が出た。
数年前は,その休養中の生活に戸惑ったので,
この時は,しっかりと休むことに没頭しようとしていた。
順調に心の疲労が消えていっていた。
ステップを確認しながら毎日を過ごし,
「無事に復帰できる」と自信が見え始めた。
ところが,前日4/16に,同じ教科だった5才上の人(この年,教頭になった)から,
電話で「教科指導案の締め切り日に間に合うのか!」と電話がかかってきた。
診断書も提出し,”静養”とあったハズなのに・・・。
ここで,パニックが起きてしまった・・・。
あの電話さえなかったら・・・。