magurit’s blog

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伝えるということ

 7月に入ってから,母親がヘルペスで通院していたのだが,
 神経*1に障る痛みらしく,
 痛み止めを飲み過ぎたらしい。それで,胃を荒し食事が出来ず
 連休明けの7/22に入院となった。

 さて,胃カメラの結果は”問題無し”と聴いていたのだが,
 「29日の11時に,担当医から説明があるから,一緒に行って欲しい」と,
 少々耳の遠い,頑固な親父に言われた*2

 で,本日,担当医の話を伺ってきました。
 「胃カメラでは,異常はありません。
  ヘルペスは,水疱瘡のウィルスをなかなか殺してしまえないので,
  体力が落ちたら,また出るかもしれません。
  これまでのかかり付け医院に報告書等をお渡ししますので,
  そちらで,胃薬等処方してもらってください」

 親父は,「胃カメラを先にしてバリウムを後という処置で正解だったのですね」と
 チンプンカンプンな事を言い出す始末。

 入院した日に「老院長が診てくれて,段取りをしてくれた」と母親は,喜んでいたので,
  「半年前からかかって,あれこれ診断しながら,ズルズルとなっている掛かり付け医院の
 対応に不満で,この病院がいいなら,『この先は,ここで診て欲しい』と自分が思うのなら,
 希望を伝えるべきだ」と先日,話しておいた。
 
 「報告している医師としては,仁義*3
 ありますので・・・。ただ,それは,患者さんの希望ですから,また考えて下さい」と逃げる。

 仕方ないので,
 「いえね,聴くところによると,十二指腸潰瘍の診断を出したのが,昨年末。
  その後,これといって再検査があったわけでもなく,
  ズルズルと今日にいたり,ヘルペスで痛み止めも出す,なんでもアリという
  現状で,最終的には入院というのって,おかしくないのですか?」
 と,私が切り出した。

 「う〜〜ん,外来診療所の対応として,間違ってる処も無いので,
  まぁ,テキセツだと思います。十二指腸の方も綺麗でした。」

 さらに,
 「胃薬,痛み止めも2週間分はこちらから,出しますが,
  調子が良くなったら薬はやめてください。副作用もありますから」
 という説明の段には,
 「説明されていたが,薬を飲み過ぎて,胃を荒らしたわけで,
  ”調子がよくなったら”という曖昧な表現は・・・」
 と叱りつけようかと思ったのだが,

 「ヘルペスがまた出て,痛みが止まらないという時に,
  痛み止めで胃が荒れたわけですから,
  また,酷い時には,即入院を考えるという選択肢もあるということでしょうか?」と
 医者に助け船を出した。

 「外来で診ても,2,3日で痛みが治まらない時は,すぐに入院ということが多いです。
  点滴による治療にしても時間がかかりますし,投薬にしても日に5,6回
  飲んでもらいますので。入院という選択肢もありですね。」

「だったら,『また,痛みが酷かったら,すぐに入院というのもいいですよ』と言え!!」と

さらに叱りつけたかったが,呑み込んだ。

 と,こういう風に,
 わからなかったら,具体的に尋ねるしかなないのだが,
 だが,誰もが出来るわけでも,するわけでもないのだ。
 だからこそ,医師にお願いしたいのである。

 (1)(今後の症状について)どういう選択肢が予想されるのか?
 (2)それぞれの選択肢に対して何が予想されるのか?

 これを念頭に置いて説明すれば,患者側も具体的に質問できるはずなのである。

”いくらウィルスの性質を丁寧に説明しても,

次に症状が出たときの対処法についての質問が

患者に浮かぶハズがないのである”

 患者の知りたい事と医者の伝えたい事が一致してないのだから*4

 だからといって,誰もが聞けることではないことも理解しているつもりだ。

 相手が分かってないと思えば,質問を変えて,
 「あなたの説明は判らない!」のだという意図を発信して,
 気づいてもらう以外には,

「患者側の話を聴け!」と叱りつけるしかないのだから。

 
 インフォームドコンセンスだのセカンドオピニオンだの,
 客としての患者を怖れてか,
 説明は,優しくわかりよい感じはするのだが,一番肝心なことが抜けている気がする。

  高齢者に限らず,知りたいことは,

 治療や今後の症状について,
  (1)どういう選択肢(症状・治療法・対処法)があるのか
  (2)それぞれの選択肢に対して何が予想されるのか?

 この説明が一切ないのだ。
 「患者が考えて希望を出すべきだ」とか,
 「患者から言われてないから」とか,医者の逃げ腰だとは思いたくはないが・・・。

 治療方針・方法については,
 専門家である医師に,(素人である)患者は,全てを委ねないとならないのだ。
 治療施術者であると同時に,コーディネーターであるはずなのに,
 その意識に気づいてないのではないか?と思うのだ。

 こう書くと,
 「私のかかりつけのどこそこの誰それ先生はいいよ」という
 話がでてきて,話が支離滅裂になっていくので嫌なのだが,
 医術という意味で考えて欲しいのだ。

 日進月歩の医療・科学技術の中で,
 高齢者に限らず,

きちんと質問が出来る人ばかりではない

 ということを知っておかないといけないと思うのだ。

 医師という資格職業に従事するには,
 それなりに,学業優秀でなければならないハズだ。
 つまり,自分たちが当たり前のように(中には,迎合して
 分かったフリをした人も沢山いると思うが)スッと分かった,
 出来たことが,二度三度と重ねて出来るようになった人も,
 そうでない人もいるという事の認識が乏しいのである。
 
 学校の教師が,生徒・子供の躓き場所に気づけずに熱血で教えたところで,
 その先に待っているのは,両方の不幸に過ぎない。

 それと,同様に,医師は生命を預かるのだから,患者に聴かないといけない。
 聴くとは,尋ね,相手の理解を推し量ることである。

 説明したからと言って,
 相手(患者)が理解ったかどうかは,別の問題である。
 医は仁術と言われる由縁はここにあると思うのだが,どうだろうか*5

*1:水疱瘡のウィルスは神経細胞に付くので

*2:理由あって,同居とはいえ食事は別々で自炊

*3:掛かり付け診療所からの患者を取り上げるような行為

*4:私は病気や怪我が神経質なまでに気持ち悪い。薬を処方してもらうときも,自分の体質なども細かく伝え,その薬の具合が悪ければ交換も辞さない。痛み止めの効果は”一般的”な見解である。「もし,さらに痛みが止まらなかったら?」としつこいぐらいに尋ねる。そういう自分が嫌になるのだが・・・

*5:”聴くとは,尋ね,相手の理解を推し量ること”などと書いてから,あらゆる仕事においても,人として当たり前な事なのだろうなと気恥ずかしい思いもする