magurit’s blog

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トランスな世界

No.63

●投稿者:マグリット(♂)
●投稿日:09月14日(土)02時14分33秒

◆若き日の血よ踊れ!

 2週間に一度,仕事の帰りに通院している。通院自体は,簡単な診察と
薬を処方してもらうだけなので,苦痛はない。
 ただ,通院の帰りは,翌日も仕事があろうと,CDショップに書店のハ
シゴをする愉しみが待っている。

 雑誌『ダ・ヴィンチ』でチェックしておいた本をまず探し,琴線に触れ
る本を物色する。今日の生け贄は『阪大医学生が書いたやさしい「がん」
の教科書』。

 書評にもあったので,少々胡散臭い予想を胸に帰りの地下鉄の中で流し
始めた。「う〜〜ん,医者の卵は,やはり優等生でしかない。」とあっさ
り,結論づけられるような内容だった。これは,買ってはいけない本であ
る。

 私の持論は,「本は借りる物にあらず,買うモノなり」である。買ったが
最後,それは,私の物。どう扱おうと,けなそうと誰にも止める権利はない
のである。ましてや,「折角買ったのだから,つまらなくても読み終えよう」
等という考えは「泥棒に追い銭」である。

 何がダメな本なのか。確かに出だしは,「ガン」や「病気」一般に対する,
無知な我々の思い込みを正そうという努力は認められる。だが,しかし,この
構図は,イソップ童話の「北風と太陽」そのものである。やはり,阪大のエリ
ートには,我々凡人が,「わからないものは,わからないままに,自分でそれ
なりの納得をしておこう」という姿勢が理解できないようである。

 いわんや,「何が解らないのか」ではなく「どうして解りたくないか」がご
理解できないのである。

 このような青二才に,放射線治療や,抗ガン剤,さらには,生活習慣の改善な
どを,お題目のように唱えられても,おめおめと聴いてられると思っているのが,
ちゃんちゃらおかしい。

 いや,阪大の教授が,優等生の学生に書かせたら,優しい言い回しになると,
(アホに物言うような内容になることにも気づかず)身勝手に決め込んだのかも
しれない。

 こんな本を出すから,P○P出版は,一流の仕事が出来ないのである。あくまで,
二流どまりである。

 そんな駄本を買ったと知らずに,新星堂で,CDを物色していたところ,思わぬ
ものを見つけることができた。
 小沢征爾ベルリン・フィルカップリングによる,プロコフィエフ交響曲全集
である。

 プロコフィエフと初めて出会ったのも,やはり冨田勲の作品だった。「スキタイ
組曲」「交響曲5番,6番」「ヴァイオリン協奏曲第1番」。
 そのダイナミズム溢れる曲想と,独奏楽器に魅惑なメロディを唄わせるアイデア
惚れ込んだのである。

 当時,CD等まだ発売されていないころ,廉価版のプロコフィエフ交響曲全集のL
Pを1枚ずつ買っていったのである。指揮は,ロジェストベンスキーであった。その
中で私の心に熱い溶けた鉄を流し込んだのが,交響曲第2番の第1楽章の出だしだっ
た。猛烈なフォルテッシモで金管が鳴り響き,力任せの不協和音の固まりのような音
楽に私は涙した。
 
 いま,この文章を叩きながら,小沢の演奏で,第2番を聴いている。あの怖い物知
らずの大胆な自分が瞼の裏のスクリーンに,映像を浮かび上がらせる。
 このCDは,演奏も大当たりのお買い得(4枚組2840円)だった。
 プロコフィエフの曲は,機械的な面と雄大なメロディスティックな部分を併せ持つ。
パロディとでも言いいたくなる,古典交響曲から聴き始めるなんて律儀な事はおっし
ゃらずに,第2,第4交響曲から,是非聴き始めていただきたい。

そこに,プロコフィエフの聴き手に対するサービス精神がしっかと読みとれると思う。

 近現代の作曲家として,「ピーターと狼」ぐらいしか注目されないのは,非常に残念
に思う。

もっと,プロコフィエフの作品は日の目を浴びてもおかしくないと思うのは私だけだ
ろうか。

No.64

●投稿者:さぶ(♂)[掲示板]
●投稿日:09月16日(月)03時44分42秒

プロコフィエフ

 こんばんは、1991年にソ連に行きましたがロシアではプロコフィエフ
非常な人気を博していました。モスクワで彼の墓に詣でましたが、参詣のロシ
ア人でごった返していました。