magurit’s blog

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「論点 文明の衰退」2007.12.30

欲望の暴走が止まらない

  ローマにあるカラカラ帝の大浴場はまるで炎の館だった。カラカラ帝の大浴場は
 ローマ文明末期の西暦217年に,たった5年間で完成した。それは焼成レンガと石
 灰を交互に積み重ねて作った巨大な建築物だった。
  焼成レンガを焼くためにも,石灰を作るためにも大量の燃料が必要だった。浴場は
 2000人近い人が2時間交代で1日4回利用した。延べ約8000人の人が利用するための
 お湯をわかし,スティーム暖房をするためには,50の窯で1日約4000トン以上もの材木
 が必要だった。
  そのカラカラ帝の浴場の廃墟にたつと,今でもがんがんと炎が燃やされ,体が熱く
 なるような錯覚を覚えた。そこは森のジェノサイド(大量虐殺)の現場だった。よく
 もここまで森を破壊し続けることができたものだと私は驚愕した。
  しかし,ひるがえって2000年後に,もし我々の子孫がこの地球上にまだ生き延びて
 いることができたとしたら,「20世紀に繁栄をほこった石油化学文明は,よくもあそ
 こまではげしく石油やガスの地下資源を収奪できたものだ」ときっと言うだろう。ロー
 マ文明は森を徹底的に収奪し,現代の物質エネルギー文明は石油やガスの地下資源を
 徹底的に収奪した。自然の資源を一方的に収奪するという文明の原理は,森が石油に
 変わっただけで,2000年前も現代もなにも変わっていないのである。
  しかし,ローマ文明発展の初期,欲望の暴走はそれほど顕著ではなかった。ローマ
 の人々は,森林の伐採に際しても利用に適したモミ材だけを選択的に伐採していた。
 過度な乱伐はせず自然の生態系を管理する態度もあったのではないかと言われている。
 しかしこのカラカラ帝の浴場ができたころから無差別な乱伐がはじまった。ローマ市
 民の欲望の暴走がはじまったのである。
  欲望の暴走がはじまったローマ文明は,カラカラ帝の浴場が完成してから約20年後
 の西暦240年の気候の寒冷化の影響を受け,衰亡の坂道を転げ落ちる。近年の私たちの
 年縞*1の研究は,過去の気候変動を年単位で復元できる道を開拓した。年縞とは湖底に
 毎年1本ずつ形成される縞模様である。その年縞に含まれる花粉や珪藻などを分析する
 ことによって過去の気候変動や水位変動を年単位で復元できるのである。イスラエル
 死海の湖底に堆積した年縞の分析によって,ローマ文明が繁栄した時代はローマ温暖期
 とよばれる温暖で湿潤な時代だった。ところが気候は西暦240年から寒冷・乾燥化する
 ことが明らかとなった。
  西暦240年にはじまる気候の寒冷化は,ローマの穀倉地帯だった北アフリカや東地中海
 沿岸に大旱魃を引き起こし,農業生産に大打撃を与えた。農業国のローマは穀倉地帯の大
 旱魃によって生産の基盤を失ったのである。それはカラカラ帝の浴場が完成してから約20
 年後の出来事であった。あたかも地球が人間の欲望の暴走に鉄槌を加えるかのように,ロー
 マ文明は西暦240年の気候の悪化を契機として衰亡の坂道を転げ落ちるのである。
  現代文明の欲望の暴走は中国の経済発展ではじまったと私は考えている。カラカラ帝の
 大浴場が完成してから約20年でローマ文明は衰亡の坂道を下りはじめた。欲望の暴走に歯
 止めをかけられない現代文明が,地球温暖化によって衰亡することは地球の意志であると
 思わざるをえない。約20年後の2030年ごろが,現代文明が衰亡の坂道を転げ落ちる転機で
 あると私は予測している。
  安田 喜憲 国際日本文化研究センター教授
  2007.12.30読売朝刊-9面より

*1:ねんこう