彼は,繊維を染める染料の研究をしていた時期があります。
西洋アカネ?時の大臣が彼の元にやってきて,真っ赤になった手を見て
「これぞ,労働者の手だ」と賛嘆*1したという話が,小学校の道徳の
教科書*2に載ってたのを思い出します。
結局,化学者が先に赤色染料を化学反応で作ってしまう
ので,彼の努力は水泡に帰すわけです。そればかりか,その時の大臣が
革命で,クビを切られたものだから,ファーブルへの支援も打ち切り。
さらに,キリスト教教会で,進化論の話を若い女性の前で講演した事で
下宿先の大家さん*3から追い出されます。同時に
勤めていた小・中学校もクビになって。
この辺りのイメージって,可哀想なファーブルが宿無しになって,路頭
に迷ってる感じがしませんか?
でも,事実は「クビ!」「出ていって」と言われても困らないだけの
別収入があったのです。見出しにも書いた,理科の教科書の執筆です。
(明治の日本に入ってきた理科の教科書にも,ファーブルが書いたも
のが随分とあるようです。)それで,彼は,あっさりと職も下宿も捨
てたんです。
彼の「昆虫記」の仕事は,「長さ」=「一流」というわけにはいきま
せん。それ以上に彼の書いた,理科の教科書や啓蒙書は,実に素晴ら
しい物が多いのです。こちらの仕事こそ,「一流」だといえます。
日本でも,彼の書いた,啓蒙書は全集として一時売られていましたが,
今では絶版となっていました。(二冊だけ復刻されていましたが,
一冊は,邦題が内容と一致してなくてお薦めではありません。もう
一冊は,「植物記」という邦題ですが,こちらは二度復刻されて,
読みにくい本ですが,発想の素晴らしさを垣間見る事ができます。)