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最後の奴隷制としての多数決原理

最後の奴隷制としての多数決原理

   ●民主主義について考えなおす  
         板倉 聖宣

  最近,民主主義のことが気になって考えなおしています。
  〈民主主義は素晴らしいものだ〉----私はずっとそう考えてきました。〈専制君主制度に対する
 たたかいの中から生まれた民主主義が素晴らしくないはずはない〉----私はそう信じていました。
 私のように絶対天皇制のもとに教育を受けて,敗戦後になってはじめて民主主義を知ったものにと
 っては,民主主義は絶対的なものだったと言ってよかったのです。
 

民主主義はどれだけ素晴らしいか

 
  それなのに,現実の世界での出来事を見ていると,ときどき〈民主主義は必ずしも素晴らしいも
 のではない〉ということを認めざるを得ない場面にでくわします。それで私の頭はしばしば混乱さ
 せられました。
  また,世界の歴史を見ていると,〈君主制国家から共和制国家への移行〉は必然的に思えるのに,
 必ずしもそうはなっていません。フランスなどは共和制と君主制の間を行ったり来たりしましたし,
 オランダは伝統のある共和国だったのに,今は君主国となっています。若いころの私は〈人々は専
 制君主主義よりも民主主義のふが好きに決まっている〉と思っていたのに,歴史が後戻りすること
 もあるのです。それに現代の世界の国々を見てみると,君主国よりもずっと独裁的な共和国がいろ
 いろあることを認めざるをえません。
  世界の歴史の大筋では,君主制よりも共和制のほうが進んだ政治形態であることは間違いありま
 せん。しかし,一度共和制国家が誕生して民主主義の思想が普及すると,君主制国家がその民主制
 を取り込んで〈立憲君主制〉ちう新しい政治制度をうみだして,遅れた共和制国家よりもずっと民
 主的な政治形態を作りだすことに成功してきたのです。〈そこで,必ずしも,君主制→共和制とは
 言えなくなってきたのだ〉私はそう理解することにしました。

民主主義が好きではない子どもたちと大人たち

  しかし,そんなことよりも何よりも私の心を悩ましたのは,〈現実の大人や子どもたちが必ずし
 も民主主義が好きになっていない〉という事実でした。学校の生徒たちは何の授業が嫌いかといっ
 て,クラス会・自治会ほど嫌いなものはないようです。〈これはどうしたことだ〉というわけです。
  もっとも,生徒会・自治会のような場合は,本当の自治権が確立していなくて,学校・教師の支
 配下での自治に過ぎません。そこで,〈そんないいかげんな自治・民主主義が嫌なのだ〉と考えれ
 ば簡単に解決がついたようにも思えます。しかし,大人の場合はそう簡単ではありません。じっさ
 い,〈民主主義だ,なんだかんだ〉と言われて,長くて退屈な会議・会合に付き合わされるのはた
 まったものではありません。そんな時は,〈だれかが一方的に決めてくれたほうがいい〉と思える
 ことも少なくないのです。
  大衆がうんざりするような形式的な民主主義が続くと,人々は偉大なリーダーを求めてファシズ
 ムへの道を進むようになるのでしょう。そんな場合,大衆にとっては,〈民主主義というのはファ
 シズムよりもさらにずっと悪いもの〉と思われているわけですから,〈民主主義を守れ〉と大声で
 叫んでも仕方ありません。〈民主主義が大衆のものになっていない〉〈民主主義が大衆にとって悪
 いとしか思えないものになっている〉ということを問題にしないわけにはいきません。現実の世界
 の中では,民主主義というのは,そんなに素晴らしいものではなかったのです。

民間教育団体の総会を見ても分かること