戯れうたに,「縁は異なものさて味なもの独活が差し身のつまになる」とある。山の独活も,
海の魚も,いつか同じ皿の上で隣り合うとは想像もしなかったろう◆人もまた,「異なもの」の
見えざる糸に導かれて生きていくことに変わりはない。日本文学研究者,ドナルド・キーンさん
が本紙に連載していた回想録がこのほど終了した◆もしも大学の教室で中国人の学生が隣に座ら
なかったら・・・。もしも日米開戦がなかったら・・・。東洋文化に目をひらくこともなく,米
国海軍の通訳官になって日本との縁が結ばれることもなかったという◆誰にも人生の岐路で選ん
だ道があり,選ばなかった道がある。皇后陛下のお歌を思い出す。「かの時に我がとらざりし
分去れの片への道はいづこ行きけむ」。選ばなかった分かれ道の片方には別の人生があり,行方
は誰も知らない◆84歳のキーンさんはいま,60年以上の年月を日本人とともに歩んできた半生を
追想し,「幸運だった」と語っている。日本文化のすぐれた理解者,紹介者を得た日本人にとっ
ても幸運なことに違いない◆年賀状を書きながら,その人と知り合った昔を顧みて,ふと筆の止
まるときがある。袖すり合う縁がなかったら自分はいま,どこで何をしていただろう。歩むこと
のなかった「分去れの道」を旅するのも年の瀬である。
(2006.12.27・水曜 読売朝刊より 引用)