magurit’s blog

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トランスな世界

No.43

●投稿者:マグリット(♂)
●投稿日:06月06日(木)02時21分58秒

◆人は死んだらどうなるか

 「人の死」というものは,なかなか扱いが難しい。
 それは,亡くなった人には,何もないのだが,残された者にとって,
捉え方がそれぞれ違うからだ。

 一人称の「死」はその人自身だから,これは原子に返るしかない。
 二人称の「死」はその人の連れ合いだから,これは心に残るだろう。
 三人称の「死」は二人称とは違った意味で,さらに外から眺める死で
ある。

 たとえば,臓器提供や安楽死といった問題を扱う時,一人称の死より
も,二人称,三人称の死が,いろいろ問題になってくる。
 それは,それぞれの人の心に残された心象風景の濃さによるものであ
る。当然,その死を受け入れるのに三人称より,二人称 の方が時間が
かかるのは当然である。

 さて,私は「唯物論者」なので,死そのものは,原子に返るという
「物質不滅の法則」で解決してしまえる。
 しかし,記憶に残る心象風景というものは,原子的にまだ捉えられる
ところまで進歩していないらしい。
 死んでいった猫たちの夢を見ては涙ぐむことがあるからである。

 科学的に見れば,唯物論で捉えるべきであって,原子に返ると考える
のが,正しい。

 しかし,信仰や宗教の世界では,魂として生きていると捉えることは
個人の問題であるから,決して否定してはいけないと考えている。

 どういう立場(条件)で,捉えるかによって,立場が変わるのは,こ
れは正しい行為であって,決して日和見的な態度ではない。

 最近,ちょっと内容が固くなっているなぁ。
 次は,柔らかい話にしたいと思ってます。