magurit’s blog

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トランスな世界

No.42

●投稿者:マグリット(♂)
●投稿日:06月01日(土)04時21分08秒

◆最後の奴隷制度としての民主主義

 学生時代,一番コワイのは選挙だった。どんな選挙も,少人数の中で,
立候補する者と推薦される者が現れ,やる気ある「立候補者」が落選し,
「嫌々推薦された者」が当選する。そんなことが多々あったように思う。

 戦後,民主主義の世の中になると知った時,真の平等が訪れると誰も
が夢を抱いた。

 しかし,現実はいかんや。
 
 戦後,最初の社会科の教科書は『民主主義』という題名だった。その中
には,「多数決」について次のように述べられている。

>>  
「・・・・・民主主義の世の中では,できる限り多数決をとらずに,
話し合いで,お互いの利害をすりよせ合い,決めることが大事である。
しかし,どうしても決められない場合に限って,多数決をとることが
必要になることがある。その場合も,採択されなかった少数派が,
多数派の《奴隷》となるようなことがあってはならない。そうならな
いように,どちらが少数派になっても,《奴隷》とならないように論
議を尽くさないといけない。
多数決とは,どちらか決めがたい時に,取りあえず方針を決める為
に存在するのであって,多数決で決まった事が,間違っていることが
判明した場合には,ただちに少数派の意見に,変更をする準備が必要
である。・・・・・・・」

これが,戦後最初の社会科の教科書の内容である。
なんと素敵な多数決原理であろうか。
「多数決できまったのだから,絶対に従わないといけない」等とは,
どこにも謳われていない。

 だが,しかし,この「多数決の原理」を知らない社会科学系の人間
(役職者)のなんと多いことか。

 いわんや,無理から発言できる雰囲気を封鎖しておいて,「みなさん
の賛同を得ましたから,決定します」とするデキレースを平気で行う社
会科学出身者のなんと多いことか。

 戦争に敗れて「民主主義」を勝ち取った日本人は,このような《奴隷》
制度を望んでいたのだろうか?想像できなかったに違いない。

 一部の特権者が「民主主義」の名の下に暴政を振る舞おうとしている
(政治家だけではない,一般企業,特に学校では社会の教師が,最後の
奴隷制度としての「民主主義」を振りかざして,役に立たない優等生を
輩出し続けている)。

 「民主主義」社会とは,「仮説をたて実験によって確かめていく科学
的な社会であり,そこには身分や財産の有無等による差別感はない。
科学的であることは,実験結果の前に平等である」