[読書術]内田 樹(2006.11.26日曜・読売朝)より
【身体で読む本】
「私を引きとどめる便意」
書店に入るとただちに便意を催す。レンタルビデオ店でも同じ現象が起きる。
さまざまなタイトルを眺めて,「あれも読みたい,これも観たい」とそわそわ
しているとたちまち切羽詰まってくる。しかるに,書店は支払を済ませていな
い本を個室に持ち込まれることを嫌うので,どこもトイレは少ない。レンタル
ビデオ屋の場合はそもそも客がそのような場所を利用する可能性を想定してい
ない。最悪の場合には社会人として名誉回復の難しい惨状を伴う病態であるに
もかかわらず,これまでこの心身相関について納得の行く説明を聞いたことが
ない。
同様の心身相関は私の場合論文執筆時にも経験される。長期にわたる助走期
間が過ぎて,思考が「テイクオフ」する瞬間にも激しい便意が訪れる(さいわ
い,自宅書斎で執筆している限り探厠問題は発生しない)。
この「テイクオフ」の瞬間には鼻腔のの奥に焦げ臭い匂いが漂い,不意に脳
細胞が加速し,「すべてが見えた」という幸福な全能感に貫かれる。私はこれ
をひそかに「アカデミック・ハイ」と呼んでいる。そして,この瞬間を狙いす
ましたように便意が襲ってくるのである。
この便意は,今まさに地上的なしがらみを離脱して,奔放な観念の世界に浮
遊せんとしている私に「私は身体を持っている」という原事実を否応なしに思
い出させてくれる。
以前,曹洞宗の南直哉禅師に伺った話だが,参禅して日の浅い人々が「魔境」
に入るのを防ぐためにに,禅家では自分の呼吸を数えることをまず教えるそう
である。どれほど脳内に途方もない妄想が充溢しても,「今自分は呼吸してい
る」という確信だけは揺らがない。だから,「私は呼吸している」という現実
感覚を手がかりとして,人は妄想の世界から,現実世界へ「帰り道」をたどる
ことができるのである。
なるほど。そう伺って得心した。書物や映画のタイトルは私を底抜け妄想世
界に誘う「スイッチ」だったのである。それゆえおそらく私が観念の世界に奔
逸しようと地上から浮遊しはじめたその瞬間に,私の身体は「お前は地上の存
在である」というシグナルを私に向けて送って,私をこの俗世に引きとどめて
くれるのである。
(神戸女学院大教授・フランス現代思想)
(2006.11.26日曜・読売朝・11面)引用