magurit’s blog

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『ダカーポ 569 05/10/05』メディア時評108より

 案の定と言うべきか,とんでもない結果とともに総選挙は幕を下ろした。一般の
有権者は今後,己の軽率を心の底から後悔させられることになるはずだ。
 構造改革とはすなわち,平和や平等,人間の自由と尊厳などといった戦後的価値
の一切を屑籠に放り込み,恵まれた者がそうでない者の権利やチャンス,生命まで
をも分捕る収奪の正当化に他ならない。自民党の圧勝によって,普通の人間は富裕
層に奉仕するだけの奴隷へと貶められ,男性なら過労死や過労自殺,女性ならセク
ハラが,今日にも増して状態化することになろう。ノンエリートの子は満足な教育
も授けられない仕組みが完成すれば,いずれ封建時代にも似た身分社会が定着して
いく。
 人間を上から選別したがる狂気は,外に向けては帝国主義となって顕れる。憲法
も改め積極的にアメリカの一部となって,”国際貢献”の御旗の下に世界中の貧し
いが資源の豊かな国々を侵略しまくる最低最悪の恥さらし国家が明日の日本だ。兵
士の調達は徴兵か,これまたアメリカ様と同様に,戦場で手柄を立てなければ一生
浮かび上がることのできない底辺の若者で賄われよう。戦地に赴かずに済んだとし
ても,権力に近くない者に安息などあり得ない。誰もが報復としてのテロの恐怖に
怯えつつ,実行されれば「毅然として立ち向かおう」と開き治る日常が見えてくる
ようだ。
 今さら改めて指摘するまでもなく,郵政民営化だけが目下の政治課題でなどある
わけがない。総選挙の争点は,小泉政治そのもの以外の何物でもなかった。それを
どこまでも郵政民営化の問題だと言い募り,誤魔化し続けた小泉純一郎のやり方は
卑劣きわまりないけれど,この程度の嘘に他愛もなく騙されてしまう有権者の側も
つくづくどうかしている。そもそも有権者としての資格があるのか,選挙だの議会
制民主主義だのにふさわしい国民なのかという根元的な疑念さえ湧いてくる。
 マスコミの責任も重大だ。選挙戦の中盤まで,どの新聞もテレビも雑誌も,ほと
んど小泉に操られているとしか思えなかった。参議院が自分の思い通りにならない
からと衆議院を解散させた小泉。無条件で服従しない議員らを次々に粛清し,著名
な女性を口説いては,”刺客”として潰していった小泉。ヒットラー顔負けの独裁
を,マスコミの圧倒的多数派は「わかりやすい」「改革に賭ける信念」などと褒め
そやし,持て囃しまくった。
 選挙戦突入後も,マスコミは小泉の宣伝機関であることをやめなかった。”刺客”
と”造反議員”との争いはK−1の格闘技戦のごとくに扱われ,自民党以外の立候
補者など存在しないかのような雰囲気が演出された。女”刺客”の面々がヒヒジジ
イどもに示す媚態と,この国のジャーナリズムが垂れ流す”報道”は,その本質に
おいて何も変わらない。カネと権力を得るためなら,魂を悪魔に売り渡して恥じよ
うともしない一点で。
 かくて結果が導かれた。選挙戦の終盤,一部のニュース番組や一般紙に多少の改
善が図られた形跡が見られた。社民党共産党も交えた党首討論会が企画されたり,
自民党以外の候補者を無視しない努力が垣間見られるようにもなったが,遅すぎた。
国会審議中はあえて報道を控えておき,施行の直前になって騒ぎ始めた住民基本台
帳ネットワーク=国民総背番号制度の時と同じで,勝ち馬にさんざん忠誠を尽くし
ておいてからジャーナリズムの真似事をしてみせただけのエクスキューズ。
 今回もまた,終わった後で何だかんだと言い訳を始めた。投開票の翌日付紙面の
一面で〈この結果には驚きを通り越していささか恐怖さえ感じる〉と書いたのは日
本経済新聞。朝日,毎日,東京の各紙は社説などで「白紙一任ではない」云々と政
権に釘を制したふりをしているが,笑わせないでもらいたい。だったらなぜ,初め
から小泉のファシストぶりを徹底的に糾弾してこなかったのか。ジャーナリズムと
は権力批判をするからこそ存続を許されているのであって,権力に擦り寄ったが最
後,世の中で最も軽蔑されるべき職業に堕してしまうことが,どうしてわからない
のか。
 前後して朝日新聞社は,新党日本田中康夫代表の動静をめぐる虚報の責任を取
る形で前社長が取締役を辞任。新聞協会長も退くとかで,それは結構なのだが,当
該記者の懲戒解雇処分は虚報の程度に照らして厳しすぎる。少し前にはNHKの番
組改変事件に関する社内資料が流出した問題で,安倍晋三中川昭一に謝罪してい
るが,NHKをはじめ他のマスコミは,朝日がまるでこの事件に関する姿勢のすべ
てについて懺悔したかのような取り上げ方を重ねている。朝日もまた,世間にそう
受け止められることを望んでいるかのようだ。
 二度と政治家を敵に回しませんとのシグナルかもしれない。言葉もない。

 『ダカーポ569 05/10/05』
 斉藤貴男「メディア時評108 巨大メディアが,報道内容を権力に白紙委任する日」