別に悲観的にも神経質にもなって
いない。思考の暗闇を覗き込んだ訳
でもない。ただ,・・・。いつもの
”唐突な暖かい日差しと,薄寒い空
気”の訪問でなく,寒暖の差の激し
い3月が終わろうとしているもどか
しさだろうか*1。
茫洋とした気分の時は,勝手に手が,"熟成中"の本を掴んでしまう。
数日前より,山岸涼子の『アラベスク』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳを読んだ。
雑誌『ダ・ヴィンチ』に連載されていた『舞姫・テレプシコーラ』の世界に
引き込まれ,評判の『アラベスク』を熟成*2させていた。
”身長が高い事をコンプレックスとし,母の期待を一身に受ける姉への嫉妬と羨望”から
スタートする,ノンナ・ペトロワ。
この設定は”身体が硬く,右足にコンプレックスを抱え,母の歓びである優秀な姉への羨望”を
知る篠原六花*3と似ているとも言えなくはない。
ただ,早々に,姉ではなく妹にスカウトの声がかかり,師からもライバル視されるノンナの苦難には,
成功が予感される。
年齢の近いライバルや異性の登場は,当時のスポ根物『アタックNo.1』の流れを感じない
わけでもない*4が,この物語の中で,幾度となく現れる”天才・素質”と”努力”。
とりわけ,第一部のメインともいえる,天才バレリーナとの主役争いは,この作品の思いのたけを,
顛末*5として,次のように語らせている様に感じたのは
うがちすぎだろうか。
レオ 「結局,彼女は一度の敗北から立ちなおれなかったのかな?彼女のほうが
プロとして精神的には本当は弱かったということになるのかなあ」
トロヤノフスキー「精神的に弱い?そうじゃないよ諸君。原因は彼女が天才だったからだ。
ほんとに悩み苦しんで,それこそ,石にかじりつかんばかりにして地位を
得たものは,どんな障害があろうともその地位を決して捨てやしない。
この苦しみが大きければ大きいほど,そんなにも苦労して手に入れたもの
をおいそれと,どうして手ばなすことができるだろう。彼女はいまの地位
をとんとん拍子に手に入れた。なにひとつ苦しむことなく,それこそ天才
という名にふさわしくなんの困難もなくだ。彼女にとって,天才プリマ・
バレリーナとは,その地位を手に入れた時とおなじく,ほんのささいな
障害であっさりとすてることができるものだった。神は公平な方だと・・・
つくづくおもうね。なんの代償もなしに栄光を維持しつづけることなど
決してお許しにはならないのだ。」
ノンナ 「苦しみ悩むという代償」
トロヤノフスキー「きみはひとつの困難をへてモルジアナの栄光を手に入れた。これで
きみは扉を開いてバレエの道をのぞいたことになる。この道は永遠に良し
ということのない苦しみの道なのだが扉を開いたからには進まなければ
ならない。どこまで歩いていくかはきみしだいだ。」
(『アラベスクⅡ』白泉社文庫より編集引用)
この重たい命題を,挫折多き若者には,”簡単に悔いる様な,結論を急がせる様な,
人生を求めてはならない”事を告げているかのようだ*6。
ところで,『舞姫,テレプシコーラ』の篠原六花は,10冊もに渡る第1部の最後に
”コリオグラファー*7”への路を予想させて終わり,
二部以降の展開は,愉しみな限りである。