ブログに登場したのが昨年の12/23。
1月〜7月までの半年の間は,
月に1回も更新できなかった。8月
過ぎて,何が取り憑いたのか(笑)
(バヌアツのクリスマス切手)→
今日で96日も書き込みができたことに,
感謝。厳しいコメントに怯えつつ(と
いうか,誰にも読まれない恐怖に怯え
つつかも・・・),定期的に読んでくださる方やコメントを返してくださる方,
親切なメールのお陰で*1,なんとか生きてきましたm(_ _)m。
仕事納めも含めて,12/31までに「100日を突破したいなぁ」,というのが
今の小さな「目標」。
生まれた時に*2洗礼をうけていた為に,
小学校時代,土日に教会に行く*3ことが苦痛だった。
片田舎では,日曜の午前中の子供番組を見ておく事が,翌週の学校での
コミュニケーションの為の情報であったから・・・*4。
「躾面」は,そこで鍛えられた。鍛えられたと同時に何をするにも,
親の許可を求める子供になってしまった。マジメに物事に取り組む,
融通の効かない子。30年振りの同窓会*5の記録を見ると,
学友達は,物事に適当に答え,適当にやり過ごして気楽に過ごしていた
ことを知った。「目的の為なら適当に流す:答えを覚える:腑に落ちな
くても平気」だったことが分かった*6。
日本では,12/24は,クリスマスという宗教行事をただの「お楽しみの
約束事」として過ぎて行く日。 12/25がクリスマス。12/26はボクシングデー。
西欧の宗教習慣では,この3日間は,本当に休み。何も,「するなら徹底的に
西欧化しなさい!」なんて愚かな事は思わないけれど,もう少し静かに過ごし
てもいいのではないの?そうして欲しいなぁと思う人もいることを願いたい。
あ〜あ,1周年の最初に,愚痴ってしまった(苦笑)。
*1:私のアンテナに登録されている方々,みなさん有り難うございました
*2:自分で考える事も出来ないうちに
*3:行かされた,行かないと,次の週に神父さんに怖い顔で睨まれてお小言を頂戴した。フランス人の神父で,十字架に磔になっているキリストに顔の彫りが似ていて余計に罪の意識を植え付けられた。
*4:今の時代ならビデオで録画したら済むのだろうが,当然そんなものはなかったので,嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で・・・仕方がなかった。仕事で生活が出来るようになってビデオで再放送を見たが「こんなもんか」と落胆した。子供の時に疑問に思ったり,驚愕したり,感動しなかったことは,年老いてからでは,味わえないのだ。訳知り顔で「読書はその年代,年代で感じ方が違うから,同じ本を読むのも面白い」と言う指導者がいるが,それは違うと思う。経験値としての感動や認識の度合いの差があって当たり前ではないか。何度も読むのは「懐かしさ」や「求める癒し」と「記憶の復活」を願う無意識の行動だと私は思う
*5:夏にあったが参加しなかった
*6:「腑に落ちないのに納得する」事が嫌だとか言いたいのではないの。出来ない自分に歯がゆい思いを抱き続けているだけ。もう過ぎ去った事なのに・・・。そういうもろもろの記憶が消えてくれたらいいのに,忘れる事も出来ない。ノウミソビデオが見事にその場面を再現してくれる・・・泣。これは辛い。ずっと罪を背負っているみたいだ。「あの時は仕方なかったの」って割り切れる日が来るのはいつなんだろうか?